こんにちは、リリィです。
もう今年に入って悩むことがたくさんあって記す暇も、整理する暇もないほど脳内パニックが続いております。
さて、今日は娘のことについて書こうと思います。
これまでも登校拒否の記事を書いてますので、記事最後に置いておきます。
さて、私には高校1年の娘がいるんですが、もう3月、まもなく1年生が終わります。
最後の最後まで、落ち着かない1年間でした。
2学期末の三者面談
2学期末の三者面談がありまして、その場で
娘さんが、3学期のテストと評価でこの科目は追試の可能性が出てきてるんです。
追試?!
昔から変わらない、苦手な英語の2科目のうちの1つが単位がギリギリ足りてないそうで
提出物の遅れと定期考査の点数で足を引っ張っている、と。
私も勉強は得意じゃなかったけど、追試になるほどひどくはなかったぞ??
と内心思っていましたが、誰でも不得意はありますしね…。(ここらへんちょっと甘いですが)
とにかく3学期は提出物とテスト勉強を一層力を入れるように娘にも話しておきました。
3学期…学年末迄波乱
そして冬休みから連休明けの登校は、親はヒヤヒヤ、子供はズーンと雰囲気重たくしていました。
でも3学期は本人なりに頑張って登校してくれてました。
行けない日ももちろんあったんですけどね。
だけど、このガンバリの源は11月に行った通信制高校見学先で聞いた
1年生の単位が確定するのは1年生の履修科目がおわってからなのでそこまでは頑張って単位を取ってきてください。
という通信制高校からの話。
つまり、1年近くも通学しておいて随時転学そのまましてたら、本来1年生の単位取得確定は学年末にされるものだそうで、単位確定を待たずして転校すると1年生の単位取得をやり直さなくちゃいけなくなるというお話だったんです。
11月迄登校頑張ったのに無駄になるなんて!!と本人も思ったんでしょうね。
それで1年生は頑張ろうって娘も意気込んで頑張ってたようです。
そして追試が決まる…
3学期の定期テストは期末考査のみ。
それに加えて評価点は提出物。
しっかりやるのよ!!ってよく毎朝声掛けはしてたんですが、忘れた日もあったようで…。
そして2月、3学期の授業を終えて、封筒入りのプリントを持ち帰ります。
中には追試対象者の保護者向け説明会の案内でした。
4科目以内の追試は、まだ進級の余地があり、5科目以上単位不足だと、留年決定なんだとか。
1年生では15人、480名いるうちの15人ってどんだけ少数派よ!!
と突っ込んでしまうほどでしたが、しぶしぶ説明会へ向かい、厳しい言葉も交えられながら副校長・教務・学年主任からの話がありました。
そしてそのあとは担任との、追試に向けての面談。
進級のチャンスはこれが最後です。
しっかり2週間課題に取り組んで、追考査をクリアしてくださいね!!
という激励と助言の内容でした。
これまでになく頑張った追試課題
追試課題と同じくらい毎回がんばってくれたらこんなことなってなかっただろうに、とも思ってましたがもしかしたら見えてない所で頑張ってたかもしれないし…。
私も学生時代、やってない所ばかりを指摘されて母に突っかかることもよく覚えてるのであまり多くは言いませんでした。
少なくとも気性は私より娘の方がまじめなのでね。
追試を終えて単位取得・進級確定
前半は一緒になって勉強に付き添う日もありました。
まだ高校1年生の英語は思い出せました笑。
追試は金曜日だったんです。
結果は月曜ということだったので、娘も普通に登校してたんですが、追試会議が放課後で決まるということで、放課後に担任から電話で無事通ったことを連絡を受け一安心しました。
…が。
「通信制に転校するために頑張ったんだよ!」
2年生への進級が確定した月曜日…娘のテンションは一気に落ち込んでいました。
実は進級が確定した夜、
がんばったね!これで無事二年生だね!
この調子で2年も頑張らないとね
という私からすると何気なく(さりげなく)話した事で、「転校させてもらえない」とショックを受け翌朝の登校途中の道中から目を真っ赤にさせて学校へ行くのを嫌がっていました。
1年生の単位を取らないと後が大変になるって見学の時に言われたから頑張ったんだよ!!
いや、娘の本音は私もわかってるんです。
見て見ぬふりして、そのまま2年に進級してなんとかいけないだろうかと思っていたんです。
私も学校を辞めたい時期もあったけど、行かなきゃならないんだ、とあきらめて通学を継続したのでそうなってほしいな、と思ってたんです。
でも、もう本当に限界だったようで…。
2年生用教科書販売の日
実はその泣きながら何とか遅刻したけど登校した火曜日、来年度の教科書販売の日だったんです。
でも遅刻して保健室へ登校、娘と話した担任は教科書の購入を止めました。
我が家の事情を知っている先生曰く、そのまま今の学校で進級するかがあいまいな状況で購入の出費は決して安くない金額なので、と先の選択肢についても考慮して止めてくださったとの事でした。
…が、裏を返せば担任から見ても、このまま続けるのは厳しいのではないか、とも思ったんだろうと思います。
結局、その日は次の時間から授業に参加して帰宅し、夜、私と二人で話し合いをしました。
学年末という節目というタイミング
振り返れば、中学2年の三学期が始まるころに家庭内不和から登校拒否することが増えて、離婚の方向性が見えたころには高校受験も控えており、経済的に厳しくなるから公立高校に行くよう無理やり志望校を決めた大人の勝手な事情があります。
そこから中3・高1と2年間娘にとっては長い時間だったと思います。
望む進路に進めず、進学後は行きたくない環境に1年も身を置き、苦しかっただろうと申し訳なさもあります。
でも現実問題経済的に厳しいのもあり、しかたがなかった。
そして「追試」という現実も加わり、この調子でいくと2年生は不登校が増えて単位不足で留年の可能性が大いに上がるだろうという懸念も強くなりました。
最終的には3年間で卒業してくれればとおもうので、私は通信制への転学を了承することにしました。
同居の家族への報告
離婚して実家に両親と同居をしてるんですが、全日制過程から通信制家庭への転学となると生活スタイルが激変します。
学費の多くを費やせない事情もあり、娘の場合は月1登校スタイルのコースを選ぶことになります。
心配されるのは生活リズムが崩れる事。
当たり前に祖父母である両親は心配をするわけで、通信制高校への転学を報告しました。
娘は最近の出来事のように学校生活上での表面的なことを話しましたが、事の経緯をうまく話せず。とりあえず本人の口から話せることはすべて話をさせて、補足として現状に至るまでの経緯を説明。
父も、理解を示してくれて思っていたよりはすんなりと受け入れてくれました。
私が説明している横で娘はグズグズ泣いており、やってけるのかなぁという心配と、反対するだろうと思っていた家族がとりあえずは理解をして受け入れてくれた安堵感で、どっと疲れた夜になりました。
まとめ
不登校開始から、全日制高校へ進学して通信制高校へ転学するまでの2年と数カ月。やっと本人が望む方向性、そして私自身がようやく割り切れたという心情で今多少穏やかになりました。
これから大出費になるわけですが、このためにお金がたまってたんじゃないかと思う決して多くない貯金を崩しながらあと2年見守りたいと思います。
コメント